2018年03月30日

保護司の任務・ボランティアから専門職へ

保護司の任務・ボランティアから専門職へ

(静岡市駿河区保護司会所属・静岡県社会福祉士会所属・久保一洋)

 保護司法第1条では、「保護司は、社会奉仕の精神をもって、犯罪をした者及び非行のある少年の改善更生を助けるとともに、犯罪の予防のため世論の啓発に努め、もって地域社会の浄化をはかり、個人及び公共の福祉に寄与することを、その使命とする。」とあり、法務大臣が委嘱する非常勤の国家公務員である。そして、保護司の任務の内容は保護司自身が経験しているとおりである。
 そこで、これからの更生保護制度を考えるにあたり、私達保護司の任務(役割)はボランティアのままで良いのか、“専門職”としての必要性を念頭に問題提起をしたい。ただ、ボランティアの定義と専門職の定義を幅広く議論していくと混同していくので、ここは単純に考えたい。さて、法務省のホームページでは「保護司は民間のボランティア」と言っているし、私達多くの保護司もボランティアと自覚している。
 まず、最初に指摘しておきたいことは、この表題の議論に対して法務省とか保護司の内々の間での議論では意味が無く、更生保護をとりまく環境(関連領域)が保護司をどう見るのかということである(保護司を単なるボランティアではなく何らかの専門職と見る傾向になってきているし、又、そうあるべきだと思う)。
 私が思うには、更生保護法が施行された平成20年頃から更生保護の分野にいろいろな領域の方が係わるようになってきたこともあり、それ以前からこの位置にいた保護司の存在が目立つようになってきた。いろいろな領域の方とは、例えば犯罪者の入口支援、出口支援で活動する福祉の関係者もその一つであり、又、最近では刑の一部執行猶予制度にダルク等の係わりが増えてくる。これらと、保護司の任務とは未だ制度上の違いもあり、その垣根があるが、いずれその垣根も低くなっていくのは間違いない。いや、今でもお互いに関連する部分もある。そうして、いろいろな領域の方と係わっていく中で保護司のみが「私は素人のボランティア」だからでは済まされないし、又、専門職を装うのも許されない。
 そこで、「保護司の専門性」を考えてみたい。将来に向けて私が理想としているのは、現在の保護司制度ではなく、「司法福祉士」みたいな国家資格制度が良いと思うが、今は現実的ではない。今できることとは必ずしも高度の専門性を求めるものではない。もちろん更生保護法を中心に関係法律(制度)の基本的な勉強は必要と思うが、むしろ、保護司に求められる専門性とは対人技能の取得である。
 特に保護司は対象者に対して、従前からの福祉の分野とはやや違う「指導監督」と「補導援護」の両面を担わなくてはならない。その為には更なる対人技能が必要なのである。
 その手法としては、何の処遇(メニュー)をするにしても、その基本となる「受容」「共感」「積極的な傾聴」等である。例えば、アメリカのカール・ロジャーズの教えである。これなら私達素人の保護司でもある程度身につけることができると思う。以前は日本更生保護協会主催の保護司の為の、この種のカウンセリング教室がよく行われたが最近はやや寂しい感がある。いろいろな処遇をするにしても、まずは対象者とのラポールが構築されていなければ効果が期待できないのは当然である。
 その為に、現在行われている各種の研修会に加えて、対人技能を取得する為の研修を定期的に行うことを提案したい。そして、私達保護司はこのような対人技能を「専門性」と位置付け専門職としての仲間入りをしていきたいと願う。法務省としても、全国5万人弱の保護司には頼らざるを得ないところであるので、司法福祉関係の多くの専門家からも保護司の質の向上と期待が求められていることに対して、法務省と私達保護司はそれに応えなければならない。
posted by 久保 一洋 at 18:54| 保護司の仕事

2018年01月22日

“先生”と呼び合うのを止めてみませんか


"先生”と呼び合うのを止めてみませんか

(静岡市駿河区保護司久保一洋から全国の保護司仲間への伝言)

 70歳も既に過ぎ、保護司の定年まであと僅かになってきた。私の保護司活動の節目は保護司就任後間もなくして、東京の千駄ヶ谷で行われていた「保護司のためのカウンセリング教室」に通い始めたことであった。そのときの勉強仲間との交流は今でも続いていて私の宝である。保護司の新人であった私達は、対象者に対しての効果のある処遇(指導)ができるような技術を得たいという強い想いがあった。しかし、その教えは私達の考えていたこととは少し違ったアメリカの臨床心理学者カール・ロジャーズのクライエント中心療法であり、講師は保護観察所OBでロジャーズの実践者でもあるN先生だ。
 内容はクライエント(対象者)との受容、共感、積極的な傾聴、純粋な態度等の手法による良き対人関係の構築が何よりも優先して大事なことだと徹底的にご指導頂いた。今では色々な処遇メニューが用意されてはいるが、その効果を期待するためには対象者とのある程度のラポールがなければ(これは素人の私達でもできる)折角の処遇メニューも”絵に描いた餅”であることは言うまでもない。その後、遅まきながらカルチャーショックに目覚めた私は先輩の勧めもあり、司法と福祉の専門家が多く所属する「司法福祉学会」というところに飛び込んで今も続いている。
 そこでの勉強会では、ただ付いていくだけで精一杯だが、「更生保護」を保護司以外の多くの領域の方がこうも熱く語る場面があることに驚いた。その中で当時、現役の保護観察官とかそのOBの方々が言う、“これからの更生保護の仕事は福祉に関する知識がある程度ないとやって行けない”に刺激され苦労して(家族の理解も得て)65歳で社会福祉士の資格を得、おかげで保護司の仕事に大変役にたっている。
 こんな経験を経た今、次の問題を皆さんに提起したい。「更生保護」は今や、保護観察官と保護司のあたかも”業務独占”の時代ではない。直接的にも間接的にも色々な領域の方々が係わっており、この傾向はますます広がっていくことは間違いない。例えば従前からの福祉領域の方、地域生活定着支援センター、関係のNPO、検察庁、刑務所の福祉担当者、弁護士、生活保護等を扱う福祉事務所、ダルク、医療機関、雇用主、民間の支援者等が挙げられる。そういう中で保護司のみが“先生”と呼ばれたり、呼び合ったりするのはおかしいし、恥ずかしいことであることが現場で気がついた。
 この“先生”の件は平成17年9月の「更生保護のあり方を考える有識者会議」の第4回会議の中でも一部の委員から“例えば、保護観察官と保護司の関係について・・・前時代的になってきて、今日的には大変不自然なものを感じております。例えば、保護司と保護観察官はお互いに先生と呼び合っておりますが、一般の市民から見ますとちょっと奇異な感じがして、また排他的にさえ感じることがございます。あえて苦言を呈するならば・・・・」”と(議事録の一部抜粋)。
 そういう、私自身は最近まで“先生”については何の違和感もなく、正直、心の中では“名誉職”という意識があったことは間違いないので今更こんなことを言うことに躊躇している。そして、“犯罪者”の自立と社会復帰と再犯防止(福祉領域の方はこの言葉を嫌うが、あえて)の支援の必要性を考えるとき、色々な現場を経験した一員として各法律、各制度の垣根を越えてこんな言い方をしてみたい。元犯罪者も含めてこんな風に分けてみた。
@ 罪を犯したが、不起訴になったり単純執行猶予判決になった者で福祉的な支援に加えて、司法的要素の係わりが(難しいことだが)必要と思われる者。
A 私達保護司の出番である保護観察、生活環境調整の対象者。
B 刑務所から満期で出所した者、又は以前、それ以前に刑務所から出所した者とか同様に保護観察を受けた者で福祉的な支援に加えて、司法的要素の係わりが(難しいことだが)必要と思われる者。
このなかで、@とBのケースは、制度の枠組みがある程度できているAに比べて数の把握は難しいがAの何倍もあると想像できる。例えば、単純執行猶予判決者の支援を行っている福祉の関係者から、問題が起きたときにこれといった解決策がない現実に無力感を感じ“せめて保護観察がついていれば”との多くの声を聞く。
@とAのこれらの支援すべき制度が非常に少ない(薄い、手の出しようがない)ことはあまり知られていない。いずれにしても、自立、社会復帰、再犯防止(特に国をあげて取り組んでいるのだから)を目指していくには色々な方の係わり、協力が必要なことは間違いない。以前に比べて各法律、各制度の垣根が低くなってきたが、現場に係わる者(組織)が更に活動しやすい環境づくりに法務省、厚生労働省が軸になってご尽力頂きたい。
 少し、脱線したが(関連してこのことも言いたかったので)本論の主旨は以上のような理由により“先生”と呼び合うのを止めてみませんか、です。
 今更、そんな細かいことを言うなよ、と、保護司仲間から愚痴が出そうだが、しかし、こんなことを言っているのは全国5万人(弱)の保護司の中で私一人だろうか(必ず同感して頂ける多くの保護司仲間がいることを信じつつ)。
タグ:保護司
posted by 久保 一洋 at 17:06| 保護司の仕事

2017年12月13日

ダルクに期待と支援を


ダ ル ク に 期 待 と 支 援 を

(保護司・社会福祉士・久保一洋)


 刑の一部執行猶予制度も始まり、判決事例も出だしたがその多くは当初から予定されていた薬物使用等へのものである。この制度の目的は施設内処遇に続き効果的な社会内処遇へと繋げ、犯罪者の改善更生と再犯防止を図ることにあり、今後もこの制度における薬物事犯が増えていくことは間違いない。
 そこで、薬物事犯に対応する社会内処遇について少し考えたい。薬物法における判決は保護観察が必須となる。@その場合の人的資源は主に保護観察官と保護司であるが、薬物依存症の対応にあたっては専門家による治療、各種の支援が必要不可欠であることから、医師、臨床心理士、薬物依存のリハビリ施設の職員等を専門的処遇の支援者として位置付けられていて、このなかにダルクも含まれる。AB
 そうなってくると、以前にも増してダルクの存在が注目されてくるに違いない。私自身アルコールはともかく薬物使用の体験がないので何とも「机上の学問」になってしまうことに歯がゆさを感じるが、せめてこの種の研修会に参加して「現場の声」「生の意見」を少しでも吸収しようと努め、薬物関係の本を読み地元のダルクのスタッフからお話しを聞いたり、最近ではDARS(Drug Addiction Rehabilitation Support:薬物依存者回復支援)のセミナーに続けて参加している。
 このセミナーには司法、医療、福祉、依存者の家族会の方及び全国のダルク関係者が集まり、私にとっては正に「現場の声」「生の意見」が吸収できる貴重な場である。ここで感じることは、ダルク関係者にとっては必ずしも刑の一部執行猶予制度を予定していたわけではなく、もともと自助グループとして展開してきた歴史あるものであり、“薬物依存は刑罰ではなく地域のなかでの回復支援を”基本として活動してきているのであり、ここにきて司法の一役を担うことに戸惑いと不安があるとの多くの声には考えさせられるところがある。
 これら、関係者の著書、講演の中から私が気になるところの一部を引用させて頂いた。

三重ダルク代表の市川岳仁さんは
・・・・カリスマだった彼は、“自分には依存者としての役割がある”と多くの依存者に安心感と希望を与えた。そんな彼に変化が起こったのは彼の属するダルクが障害者施設として認可されたころだった。施設は実務をこなせるスタッフが活躍するようになり、彼にとってダルクは居心地が悪くなり、徐々に元気を失い最終的に再発して亡くなった。
 状況は彼に「ただの依存者以上の何か」を求めていた。しかし、多くの当事者は「共感する能力」を使う以外に自ら役立てる方法を教えられていない。こうした背景には構造上の問題があるように思う。彼らが悪いのではない。無理なのである。C

京都ダルク代表の加藤武士さんは
 多様な役割期待に応えるため、スタッフが煩雑な業務に追われ戸惑いのなかで本来あるべき利用者と仲間の交流の時間が奪われていることを嘆息そる。薬物依存症からの回復の為には、これをサポートする人たちが必要である。理解ある家族や友人、医療、福祉、司法、職場、地域の協力など支援者が多様であればあるほど薬物依存の回復と成長の道は広がる。よく、ダルクでの回復率を聞かれるが、誰もが利用できることが一番重要であり「回復率は二の次」と私達は考えている。D

DARS代表龍谷大学教授の石塚伸一さんは
 ここ数年、ダルクと公的機関との関係は大きく変わった。当初、司法関係者の多くは、ダルクの活動をいぶかっていた。警戒していたともいえる。医療関係はまず地域精神医療の充実という流れのなかで、自治体の福祉関係者が徐々に理解を示すようになり支援してくれるようになった。教育関係者もお定まりの啓発活動に飽きていたから当事者であるダルクの人の声を聴こうという姿勢が見られるようになっていった。
 意外だったのは、警察関係者のなかに思いのほか理解を示し寛容なる無関心を装ってくれるものがいたことである。変化はいつも現場で起こっている。E

精神科医の松本俊彦さんは
 私達は、依存症もまた精神障害のひとつであり、うつ病をはじめとする他の精神障害と変わるところがないと考えている。私達は、ほとんどの依存症の根底にはたとえそれが精神障害によるものであろうとなかろうと人間が抱える苦悩や精神的苦痛が存在する、という考えを一貫して繰り返している。F

 思い切ったいい方をすれば、薬物依存症は「治りたくない病気」です。どんなに治療意欲があるように見える薬物依存症者でも本音は「本当は薬物をやめたくないが逮捕されたり、健康に害があったり、家族から見放されたりするのは嫌」だから、かろうじて治療を続けています。
 治療意欲はたえず揺らぎ、移ろいやすいものです。だからこそ治療プログラムは「継続性」が高いものであることが必要です。G

ダルクの創始者の一人である近藤恒夫さんは
 ダルクは国の制度や組織のなかに吸い込まれてはならない。として当事者(ダルクのスタッフ)はあくまでも回復途上のアディクト(常習者)でなければならない・・・・・・・
北海道の精神病院に入院していた頃、私の主治医が言った言葉を想い出している。当事者が偽医者や偽カウンセラーになってはいけない。依存症の人たちは時間が経つといつの間にか立派な「専門家」になって説教するようになる。唯一「共感と受容」「仲間として分かち合えること」が私たちの持っている不可侵の領域なのだ。H

 このような意見に対して、現場経験のない素人の私にとっては反論の余地はありえないし、ただただ共感するのみである。しかし、私自身は以前から現行の「仮釈放制度」があまり機能していないと感じていたので、刑の一部執行猶予に大きな期待をしている一人である。未だ、いろいろな課題はあるが、この制度を「てこ」として犯罪者(DARSの関係の方は依存症者を犯罪者と呼ぶことに抵抗があることは承知だが、ここは敢えて)の改善更生と再犯防止に、やはり期待したい。その為にも、繰り返しになるがダルクの協力は必要不可欠であることは遅まきながら、司法始め各専門家も認めているところである。
 今後、ダルクが司法の一役を担っていくことに対して歴史あるダルクの精神を崩さず(当事者性)、真の薬物依存回復に向けて、何のためらいもなく、真っ直ぐに仕事ができるように私達はダルクへの理解を深め、支援すべきだと思う。そして、今後のダルクの活動に期待したい。

__________________________

@ 薬物使用等の罪を犯した者に対する刑の一部執行猶予に関する法律第4条1項
A 更生保護法第61条第2項、65条の3第1項2号他
B 太田達也、刑の一部執行猶予(犯罪者の改善更生と再犯防止)77ページ
C 市川岳仁、薬物政策への新たなる挑戦38、39、40ページ
D 加藤武士、薬物政策への新たなる挑戦23、31、32ページ
E 石塚伸一、薬物政策への新たなる挑戦14ページ
F 松本俊彦、人はなぜ依存症になるのか(自己治療としてのアディクション)16、17ページ
G 松本俊彦、よくわかるSMARPP14ページ
H 近藤恒夫、薬物政策への新たなる挑戦204ページ
posted by 久保 一洋 at 16:28| ダルク

2017年04月24日

保護司の役割を自覚する中で

保護司の役割を自覚する中で

(静岡市駿河区保護司会所属・静岡県社会福祉士会所属・久保一洋)

 更生保護(その理念)の歴史は長いが、保護司が担う制度における最近の節目としては更生保護法が施行された平成20年頃の時期だと思う。単に法律の誕生というだけではなく、この頃から更生保護の分野にいろいろな領域の方が係わるようになってきた。
 まず、社会福祉士養成課程の教育内容に更生保護制度が加えられ、福祉系の若い学生さんが更生保護制度の勉強に取り組み始めた。又この頃から司法福祉という概念も定着してきて、犯罪者の出口支援から始まり入口支援と検察庁、刑務所、弁護士、NPO、福祉の関係者による支援活動が着実に成果をあげてきた。そして誰よりも以前にその位置にいた保護司の存在があらためて目立つようになってきたのである。
 まわりから、保護司さんはどういう仕事をするの?、保護司さんはどういう勉強をしてどういう資格があるの?等々の質問をされるが私はなかなか上手く答えられなかったが最近は自信をもってこのように答えている。
● 例えば保護司の仕事の一つの保護観察についても満期釈放に比べて仮釈放で保護観察により社会で更生していく方が再犯率もかなり低いという現実を説明して保護観察は社会の為にも大事で意味のあること。
● 保護観察の方法は指導監督(権威的)と補導援護(福祉的)の両面のバランスを考えながら行っている。
● その為に保護司としての日頃の勉強はとにかく対人技能の向上に努めること、私はアメリカのカール・ロジャーズの教えを大事にしていること。それはどの指導監督のプログラムでも対象者とのある程度の人間関係ができていないことには効果のある処遇はできないからである等々訴えています。
そして、更生保護制度(司法福祉的要素)にいろいろな領域の方が係わってくるようになってきましたので一昔前のように保護観察官と保護司のあたかも“業務独占”ではありません。そこで“細かい”ことを言うようですが、保護司が保護観察官から先生と呼ばれたり保護司同士も先生と呼びあうことに違和感を感じます。この“先生”の件は平成17年の更生保護のあり方を考える有識者会議の第4回会議の中でも一部の委員から“先生と呼び合うのは前時代的になってきて、今日的には大変不自然なものを感じております”との指摘もあります。同感の保護司仲間も多いと思います。
 そこで一つの提案ですが、全国の保護司会の会長さんは各保護司会の会員の同意を得て(多くの方は同意すると思います)対応する保護観察所に対して先生と呼ぶことを廃止して頂きたい旨の申し入れをしたらいかがでしょうか(保護観察所からこの問題に触れることはなかなか難しいことですので、そこを察して)。但し、当然にこれに反対の考えをもつ会長さんもいるわけですが・・・・それはそれとして。なかなか勇気のいることですが行動して頂ければと思います。繰り返しになりますが、“先生”にこだわるのは今後も更生保護制度はいろいろな領域の多くの方と係わりながら展開していくのですから、その中で保護司のみが“先生”ではおかしいし、恥ずかしいことです。
posted by 久保 一洋 at 10:34| 保護司の問題

2017年04月17日

犯罪者の出口支援、入口支援の課題を考える

犯罪者の出口支援、入口支援の課題を考える
(静岡市駿河区保護司会、静岡県社会福祉士会、久保一洋)


 関係行政、福祉団体、NPO、弁護士等によるいわゆる出口支援から始まり、その後の入口支援もかなり板についてきた(数をこなしてきた)今こそ発生している問題を直視して、考え、次に進む必要がある。
 問題も当然にいろいろ出てきてはいるが(多くは当初より予想されていた問題に過ぎないが)私は次の3つを皆さんと考えたい。

(1)以前に比べて少なくなってきたが“丸投げ”である。最初の窓口となった支援者(機関)が対象者の住居支援、就労支援と銘打って受皿を探し、そこに繋げていく作業である。確かに以前は繋いだだけでもそれが一つの成果と考えられてきた時期があるが受皿側は大変苦労している。苦労の内容は住居の中、職場の中での本人の問題行動(原因)から発生するトラブルであり現場はその対応に追われている。
 せっかくの“成果”だったはずの受皿から問題に対応できない為、他へ転々とするケースが多いことを関係者は見て見ぬふりをしてはならない。受皿に繋げる支援者(機関)がただ、繋げれば良しとして自己満足で終わらせないで、その後も係わる熱い意志ではなく係わることができる制度(ルール)を構築すべきである。

(2)ここでいう出口支援、入口支援の網にかかる対象者ではなく、その昔、罪を犯した者が福祉の支援が必要な場合である(実はこのケースがけっこう多い)。
 この場合は出口支援、入口支援に比べて係わる支援者が少ない(殆どいない)為トラブル等の問題に適切な対応が出来ず、やはり受皿から転々としていく。

(3)保護観察のつかない単純執行猶予者に対する受皿支援である。これもトラブル等の問題に対応できる支援者が殆どいないのが現状である。
 単純執行猶予と保護観察付執行猶予の違いと意義は理解しているつもりだが、例えば問題解決対応で苦戦しているとき、福祉の関係者からも、せめて保護観察がついていればとの声も聞く。
 皆さんと一緒に考えませんか。
posted by 久保 一洋 at 12:52| 出口支援・入口支援

2016年07月27日

刑の一部執行猶予制度がスタート・保護司に求められるものは

刑の一部執行猶予制度がスタート・保護司に求められるものは
(静岡市駿河区保護司会・静岡県社会福祉士会・久保一洋)

 刑の一部執行猶予制度がスタートしました。未だ社会内処遇体制が十分でない状況下での見切り発車の感もあるとの一部意見もある中ですが、しばらくは薬物事犯が中心になると言われ、現に薬物事犯の判決が出始めています。しかし、一部執行猶予制度は薬物事犯のみのものではありませんのでいずれ薬物以外の判決も出てくるわけですから私達保護司もこのことを心掛けておく必要があります。
 この制度を導入した背景は再犯防止であり、その方法は施設内処遇と社会内処遇(保護観察、社会貢献活動等)の有機的連携にあるとし、今まで以上に社会内処遇の重要性を訴えています。これにより保護観察の件数も増え、保護観察期間が従来より長くなります。
 又、社会内処遇体制が十分でない、の中に保護観察官とか保護司の人員の不足をよく言われますが、正確に言うと保護観察官の絶対的な不足とか保護司の質(専門性)の問題と言い換えるべきです。
 特に近年、更生保護の中に福祉関係の専門職を始めいろいろな領域の方が参加するようになってきますと、「保護司さんの専門性って何?」に対して保護司は答えなければなりませんが、それは決して高度な学問的、専門的なものではなく、対象者との面談、接触を通して「対人関係の構築」につきると思いますし、又それがなければ各種の処遇も形だけで終わってしまいます。
 この対人関係構築の役目こそが保護司の任務であり使命だと自覚し、自信をもってアピールしていきたいものです。
posted by 久保 一洋 at 16:32| 刑の一部執行猶予制度

2015年10月12日

社会福祉士と司法福祉(論)と

(静岡市駿河区保護司会・静岡県社会福祉士会・久 保 一 洋)
 
 最近、福祉領域を中心に「司法福祉」をテーマとした勉強会が各所で行われるようになった。それは、今までの法律によって決着をする「規範的解決」だけでは本当の問題解決にはならず、そこに福祉的作用である「実体的解決」の手法をも絡めた「司法福祉」の必要が求められてきていることにもよる。
 これらに参加して思うのは、例えば「司法側」は犯罪者に福祉的支援をするのは第一に再犯防止の為であるといい、「福祉側」は支援により対象者が自立し、社会復帰し、その結果再犯防止となれば良しとした。最初はこの議論の違いに抵抗を感じたが、よく考えればこの二つの要素は必要でどちらが欠けても真の「司法福祉」は成り立たないと思うようになった。
 そこで、福祉が司法に係わるようになった制度的(法律的)な経緯を確認しておくことは必要だと思う。歴史をたどれば江戸時代の人足寄場、明治時代の免囚保護施設(厚生保護施設)等が挙げられるが、ここは直近の話としたい。仮に「司法福祉」を「更生保護制度」として置き換えるとわかりやすいかもしれない(必ずしもイコールではないが)。
 平成19年に「社会福祉士及び介護福祉士法」が改正され社会福祉士の国家試験の科目に「更生保護制度」が加わった。その更正保護法の目的が第一条に「この法律は犯罪をした者及び非行少年に対し社会内において適切な処遇を行うことにより再び犯罪をすることを防ぎ又はその非行をなくし・・・・・」とあり、もしかしたら、今まで犯罪者、非行少年とは無縁と思っていた福祉領域の方、学生さんも多いと思う。
 そして、法務省と厚生労働省の連携による地域生活定着支援センター等による出口支援に続き検察庁、弁護士、NPO等による入口支援も動き始めた。いつのまにか社会福祉士もそれに関与している。しかし、私はこれらの出口支援、入口支援の議論(対象)となるのが高齢、障害を有する犯罪者が中心となっていることに違和感を感じる。もちろん、まわりから適切な援助が受けることが難しいこれらの対象者を援助していくのは当然だが、そうでない対象者(一般の犯罪者)も「司法福祉」の中で議論していくべきであり、更生保護法もそのように書いてある。
 平成28年から本格的に稼働する(一部は始まっているが)刑法等の一部改正により社会貢献活動、薬物事犯者の社会内処遇へのシフト等、今まで以上に幅広い社会資源(社会福祉)が求められるが、現在は更正保護制度の要である保護観察の実施者は「保護観察官又は保護司をして行う」となっていて社会福祉士がこれに関与する機会が少ないのは寂しい感があるが、私は将来的には入口支援、保護観察、出口支援と、点と点から一本の線に繋がっていくことを夢見ている。
 その一本の線の中身は「司法的要素」、「福祉的要素」が当然に入り乱れて良いと思うし、それを「司法福祉(論)」と呼びたい。
posted by 久保 一洋 at 10:20| 社会福祉士・司法福祉

2015年08月16日

犯罪者の「出口支援」「入口支援」と「保護観察」を考える

(静岡市駿河区保護司会・静岡県社会福祉士会・久 保 一 洋)
 
 高齢又は障害を有する福祉的な支援を必要とする刑務所等の退所者のいわゆる「出口支援」が支援機関、福祉関係者、NPO等によって行われている。先日、支援機関の一つである、ある県の地域生活定着支援センターの方の話しを聞くと人的不足、予算不足で大変ご苦労されていて、後述する「入口支援」までとても手がまわらないとの説明。
 私は最近、「出口支援」についてこのように考える。そもそも今、制度的に言われている「出口支援」とはその対象者が刑務所等を退所する前後の時期のことであり、かつ、退所する者の一部である。刑務所等を退所して1年、2年とか時間が経過した者はその支援の網にはかからず、再度刑務所に戻る者が多いことも現実であるので、ここは「出口支援」を幅広く理解したいものである。
 「出口支援」の後に「入口支援」の必要性が唱えられるようになった。すでに弁護士、NPO等が「入口支援」に力を入れているが、同取り組んでいる検察庁にインタビューさせて頂いたことがあったが一言でいうと、検察の理念として「あたかも常に有罪そのものを目的とし、より重い処分の実現自体を成果とみなすかのごとき姿勢となってはならない」とし、「犯罪の防止や罪を犯した者の更生等の刑事政策の目的に寄与する」等々の説明を受けた。
 そして、私達保護司は「入口支援」と「出口支援」の真ん中に位置する保護観察(社会内処遇)を担う。更に刑法等の一部を改正する法律、薬物使用等の罪を犯した者に対する刑の一部執行猶予に関する法律が動きだしている。この中には社会貢献活動、薬物使用者等の刑務所ではなく、なるべく社会内で処遇する原則が言われている。
 私達のまわりでは「出口支援」に始まって「入口支援」が熱く語られている。当然に私達保護司もいろいろな役目で「出口支援」「入口支援」にかかわっておられる方も多いと思う。そして、皆さんも感じていると思うが同じ支援でも支援者の立つ位置によってその目的が違う。例えば「出口支援」を行う福祉的領域の方は、支援により対象者が自立し、社会復帰し、その結果再犯防止に至れば良しとし、司法側は福祉的支援を取り入れるのはあくまでも再犯防止の為という。
 司法福祉の関係者が多く集まる全国的な研修会に参加すると未だ未だ自分の領域を代弁する姿が目につくがこれは制度的、法律的に違いがあってのことであり止むを得ない。しかし10年前、20年前に比べるとこれら「入口支援」「出口支援」と「保護観察」が徐々に一つに繋がっていくように思えてならない。又、それを希望する者である。
 それは、今までの物事(事件)を規範的解決(法律的解決)だけでは本当の解決ではなく、実体的解決の必要性が国民から要求されてきていることによるかもしれない。
 私達保護司も今まで以上に関心をもち、積極的に関与していくことが必要かもしれない。
posted by 久保 一洋 at 11:04| 出口支援・入口支援

2015年03月04日

保護司に求められる専門性を考える

(静岡市駿河区保護司会・静岡県社会福祉士会・久 保 一 洋)

 保護司さんてどういう人?、どういう資格で保護司になれるの?、保護司さんてどういう仕事をするの?、等々福祉の領域の方から聞かれることがある。平成19年の更生保護法の制定、平成21年度より社会福祉士国家試験の受験科目に更生保護が加わったあたりからいろいろな領域で更生保護が熱く語られ、又世間の目が保護司の存在に関心を持つようになってきた。
 今日、私達保護司は対象者及びその家族に真剣に向き合っていく姿勢に“私は素人のボランティアですから”では許されないが、しかし、素人には違いないのである。私は以前から“司法福祉”という概念が大切なことへの強い思いがあり65歳で社会福祉士の資格を得て今は成年後見活動にチャレンジしている。
 保護司と社会福祉士の二つの領域に携わっているとその対応(仕事内容)にかなりの部分が共通していることが経験して初めてわかった。今更でもないが良好な対人関係を築く対人技能である。ただし純粋に専門性を挙げるなら、司法の分野では関係法律、又は性犯罪、覚せい剤事犯等に対する専門的処遇、臨床心理学が考えられる。一方福祉の分野でも関係法律、関係制度、権利擁護、社会保障等々がある。
 もちろん、これらのことも保護司として勉強していくことは大切なことであるがそこには所詮限界がある。
 そこで保護司としてできること、やらなければならないことの一つに対人技能がある。
 保護観察の中での特に保護司の仕事は、面接に始まり面接に終わるとも言われるように対人関係が大切なことである(当然に福祉の分野においても大切である)。保護司に対する諸研修の内容でも、認知行動療法、SST,エンカウンター、マイクロカウンセリング等、目にするがいずれも対象者とのラポールができていてのことである。その為には保護司の役目は「受容」、「共感的理解」、「自己一致(純粋性)」、「傾聴」等により対象者とのラポールを形成していくことであり、程度にもよるがこれは私達素人の保護司でもできることであり、又これができないことには保護観察の実施方法の一つである指導監督の効果も期待できない。
 以前は保護司のために自主研修の内容に対人技能を学ぶカール・ロジャーズのクライアント中心療法が多くあったが、今は少し寂しい感がある。まとめるならば、面接を通して対象者とのラポールを築き、対象者の自立を助け、効果がある指導監督へと導く役目こそ保護司の専門性と言いたい。
posted by 久保 一洋 at 11:13| 保護司の仕事

2014年12月11日

社会貢献活動を思う

(静岡市駿河区保護司会・静岡県社会福祉士会・久 保 一 洋)
 
 まもなく刑法等の一部改正により更生保護法の特別遵守事項に加えられた社会貢献活動が始まろうとしている。すでに先行的に行われている社会貢献活動で多くの保護司の方が参加されているが、本番を迎えるに際して私達保護司はこれからの社会貢献活動にどのような思いを馳せるのか、心の整理をしておくことも大事なことかもしれない。
 社会奉仕命令として制裁的な制度として行っている国もある中で、我が国はその目的を制裁ではなく対象者の自己有用感の達成、改善更生を目指し、その結果再犯防止に寄与するとした。そして今般の法改正の最重要課題ともいわれる「施設内処遇と社会内処遇の有機的連携」にも、この社会貢献活動が一役を担うことになる。そこで私は先行的に行われた社会貢献活動に対象者といっしょに参加させて頂いた経験をもとに次のように考えてみた。
 まず、その活動場所の「見た目」の問題だが保護司、保護観察官、更女の会、BBS会員等の参加者(協力者)が自分の肩書の名札を首にぶら下げることは控えるべきと感じた。ぶら下げていない者が犯罪者であることをPRしているに過ぎずあまり良いことではない。もちろん参加しているスタッフは対象者とともに活動することを、その意義、目的も承知の上での参加であるが、そのスタッフ以外のまわりの人々まで犯罪者であることをPRする必要はまったくない。
 又、活動内容については活動する場所(施設等)、内容については未だあまり難しく考える必要はないと思う。今後の実績を積み重ねて効果のあるメニューを創り出していけば良いと思う。むしろ今は活動する地域の人々と対象者が何気ない会話、やりとりにより双方が同じ仲間なんだと意識できることが大事なことである。
 しかし、将来の活動は私は次のように考える。対象者が施設内処遇に続き社会内処遇において本物の自立、改善更生、居場所の発見の為には対象者自らが犯罪者(保護観察対象者)であることをさらけ出し例えば“俺もいままでいろいろな人に迷惑をかけてきた”“お前もこうやって付き合ってみるとそんなに悪じゃあないな”“もう悪いことはするなよ”とのコミュニケーションの中でこそ達成できるんだと思いますが、このような方法を採用していく為にはスタッフと制度の質の向上が必要不可欠であることは当然ですので、もう少し時間が必要と思う。
 保護司の皆さんはどう思いますか。
posted by 久保 一洋 at 10:00| 社会貢献